言葉の力と、朝日に照らされた気づき
- Ayase Tsuzuki
- 15時間
- 読了時間: 5分
リシケシ滞在記】言葉の力と、朝日に照らされた気づき
こんにちは。ヨガ&アーユルヴェーダ ルクルクの彩瀬です🌿
体調もすっかり回復し、今は元気に過ごしています。
先日のブログ、アクセス数が想像以上で本当に驚きました。笑
生徒さんや友人から「読んだよ〜!」という温かい声とともに、
「文才ある!」「面白かった!」と褒めていただくことも多くて、とても嬉しい気持ちになりました。
病院に行った時点で、「あぁ……これはもうブログのネタだな」と思っていたので(笑)
熱っぽい中、サンジャイに写真を撮ってもらったのがあの写真です📸
辛いだけで終わらせるのはもったいない。
人生って、振り返るとネタだらけですね。笑
言葉の力 ― 言語化するということ
ありがたいことに、文章が上手だねと褒めてもらえることがあります。
ヨガのクラスでも「説明が分かりやすい」「言葉が心に届く」と言っていただくことがあり、とても励みになっています。
思えば子どもの頃から本を読むのが好きで、文章を書くのも嫌いではありませんでした。
でも今のように“伝わる言葉”を意識できるようになったのは、10年のヨガライフを通してのブログ・インスタ投稿、クラスでの指導、会社員時代の営業職など、「人に伝える」経験を重ねてきたおかげだと思います。
「言語化」って、結局なんだろう
「言語化する」って、よく耳にしますよね。
私たちは同じ日本語を話すから分かり合えるけれど、日本語とヒンディー語では通じ合えません。
それと同じように、同じ日本人同士でも、うまく言葉にできなければ伝わらないことがあります。
“空気/air”という言葉があるからこそ、見えない、形にないこの空気というものを共有できる。
自分の気持ちを伝えたいとき、誰かと心を通わせたいとき。
言語化は、とても大切な架け橋なんです。
「察してほしい」なんてただの甘えです。(←若い頃の自分へ、たまに今も。笑)
伝える力より、伝えたい気持ち
言葉にすることは大切。でもそれ以上に大事なのは、「どれだけ伝えたい気持ちがあるか」
昔、英語があまりできなかった頃の私は、言葉が通じない人と話すときも、「どうにか伝えたい!」という気持ちと気合いで話していました。
不思議なことに、それでもちゃんと伝わるんですよね。
大事なのは、完璧な言葉選びではなく、“心から伝えたい”という熱と諦めない心。 それがあるかどうかで、言葉の響き方が全く違ってくると思います。
言葉にできないときこそ
「言語化って難しい」そう思って伝えることを諦めてしまうとき、ありませんか?
特に、自分の感情や内側の深い部分を伝えたいときほど、怖くなってしまうことがあります。
でも、「声に出す」こと。それは、心のデトックスになります。
たとえ小さな一言でも、自分の中の想いを言葉にすると、不思議と心が軽くなるんです。
朝日を見に行くツアーへ ― Kunjapuri Temple
さて、やっと本題です。(前置き、いつも長いですよね。
え、前置きだったん?というツッコミを入れながら。笑
今日は、先日行った朝日を見に行くツアーと、インドのVeda(ヴェーダ)のお話を少し。
最初はインスタだけにしようかと思っていたのですが、書いていたらどんどん乗ってきてしまって。笑 せっかくなので、こちらにも残しておきます。
5時出発、恒例のKunjapuriへ
毎年恒例の朝日ツアー。今年も朝5時に出発して、1時間ほど山道をドライブ。
最後は階段を上がってお寺まで向かいます。
リシケシはヒマラヤに近いので朝晩は冷えますが、今年は10月中旬だったので、去年11月よりは少しマシでした。3回目の今回は防寒もばっちり。
靴下を2枚重ねにしたのも正解でした。
太陽が顔を出すその瞬間、世界が静かに息を吹き返すように感じます。
観光で来ている外国人たちも、瞑想をしていたり、呼吸法をしていたり。それぞれが静かに朝の時間を過ごしていました。
同じ場所に立って気づく変化
私は3度目のKunjapuriで、1年前・2年前の自分を思い出していました。
同じ場所に何度も足を運ぶと、そのときの自分の心の変化に気づくことができます。 アシュタンガヨガの太陽礼拝も同じで、同じ練習を繰り返すからこそ見えてくるものがある。 そこに映るのは、他の誰でもない“自分自身の変化”です。
暗闇を照らす光 ― Vedaの教え
私が学ぶVeda(ヴェーダ/ヨガ哲学)では、「知識こそが暗闇を照らす光」だといわれています。
4年前からVedaを学び始め、2年前に初めて一人でリシケシに来ました。
そのとき初めてこの場所で朝日を見た瞬間、世界がぶわっと明るくなったような感覚があり、涙が止まらなかったことを今も覚えています。 「この世界って、こんなに美しかったんだ」
「あれ、私、ここに来るために生まれてきたのかも」
そう感じたのを、今でも鮮明に覚えています。
今思えば、そのあとサンジャイと出会い、こうして今があるのも、すべてがつながっていたのかもしれません。
光の中で、過去の自分を手放す
今回またこの場所に戻ってきて、学びを深めた今だからこそ、体験と教えがしっかり結びついた気がします。
2年前この場所で、私はようやく抱えていたものを手放せたような気がしました。
暗闇に光が差し込むその瞬間を見ながら、
静かに、その時の自分を見つめ直していました。
私は長く暗闇の中にいたけれど、
そのときはそれが「暗闇」だとは気づいていませんでした。
だって、その世界しか知らなかったから。
太陽が昇り、世界が光に包まれる。その瞬間、太陽礼拝の本当の意味を深く理解できた気がしました。
ダウンドッグが上手くできるかなんて関係ないのです。
おわりに
暗闇を知るからこそ、光の尊さがわかる。
そして、言葉があるからこそ、その光を人と分かち合える。
今回の旅で改めて感じたのは、知識という光と太陽の偉大さ。
この真実を深く理解し自分の中にとどまらせることができれば
きっとどんな場所でも光を見つけられるということです。
太陽が昇るたびに、私たちの心の中にも新しい光が生まれる。
その光を抱きしめながら、また一歩ずつ進んでいきたいと思います🌞 写真で見るだけでなく、ぜひ実際にこの場所に来て、全てを感じて欲しいです。

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